
カナダのゲーム開発スタジオ、Everything Unlimited Ltd.によるゲーム「The Beginner’s Guide」の紹介。
一言で:The Beginner’s Guideとは
独特な感性を持つ友人が開発したゲームを体験するウォーキングシミュレーター
概要
- ジャンル:一人称視点ウォーキングシミュレーター
- 開発者:Everything Unlimited Ltd.
- リリース日:2015年10月1日
- 価格:通常時980円、セール時392円
- プラットフォーム:Steam
- 日本語:無、ただし有志による日本語化あり
- マルチプレイヤー:無
- コントローラー:使用可
- プレイ時間:1~2時間
物語性 | ★★★★★ |
ゲーム性 | ☆☆☆☆☆ |
難易度 | ☆☆☆☆☆ |
コスパ | ★★☆☆☆ |
伏線 | ★★★★☆ |
こんな人にお勧め
- ゲームを開発したことがある人
- 考察が好きな人
- 小説が好きな人
ネタバレなし解説
ゲームについて、以下ストアページより翻訳。
The Beginner’s Guide(初心者のガイド)は、The Stanley Parableの開発者であるDavey Wredenによる物語ゲーム。このゲームは、伝統的なメカニックやゴール及び目標がなく、一時間半程度で終わる。その代わり、このゲームは、ある人物が自身の理解できぬことを扱うために苦労をする物語である。
このゲームは、上記の文のように、The Stanley Parableの開発者であるDavey Wreden氏によるゲームである。しかし、ゲーム性は全く異なり、特に今作は人を選ぶものとなっているので注意してほしい。
まずこのゲームは、「プレイヤーが、Wreden氏による解説を聞きながら、彼の友人であるCoda氏のゲームを体験する」というものである。ただし、そのゲーム体験は、決して楽しむためのものではない。メインとなるのは、ゲームの裏に隠された考えや、Coda氏の心境の変化に伴うゲーム性の変化について、Wreden氏の解説/考察を聞くことである。そのため、このゲームはどちらというと、推理小説等によくある、解説の意味を含んだあとがきみたいなものを、ゲームにしたものである。
それでは本題へ。ストーリーについては、大筋は上記のように、「Wreden氏が、Coda氏の開発したゲームをプレイヤーに紹介しつつ、Wreden氏なりの考えを聞く」というようなもの。これ以上については、ネタバレとなるため伏せる。
操作は、前後左右への移動と視点移動、及びアクション程度。この点はThe Stanley Parableに近い。
ゲーム性はほとんどないといってもよい。The Stanley Parableと違い、ナレーションに逆らうようなことはできないし、プレイヤーの自由度はほとんどない。別の言い方をすると、リニアなゲーム性といったあたりで、あくまでこのゲームは、物語といったようなものである。
何がこのゲームを特別たらしめているのか。それは、Coda氏の作るゲームの独特さにある。Wreden氏がCoda氏のどういった点に惹かれたか、同時にそのゲームに対する考察をWreden氏が行う。これはいわば、自分の好きなものを他人に紹介するというようなものである。考えてみてほしいが、自分の好きなものを紹介するときは自然と熱が入るものだ。それが友人が作ったものならなおさらだ。
また、同時に面白い点として、このゲーム内で出てくるゲーム群の開発に、Wreden氏は一切携わっていない。すべてCoda氏によるものである。そのため、ゲームによくある開発者のコメントのようなものとは全く異なる。
なんとも説明が難しいが、一つの物語を読むような感じで、考察しながらプレイしていくと面白いだろう。そのため、今回の記事のネタバレについては、クリア後に読むことを推奨したい。
ネタバレあり感想
※ここから先ネタバレあり、それでもいい方はスクロール
それではネタバレありで感想を書きます。
ストーリーについて、最初は割と普通に紹介をするような形になる。だが、途中から、Wreden氏による考察が多数入ってくる。そのどれもが納得のいくようなもので、プレイヤー側も納得するようなものが多いだろう。しかし、最後にどんでん返しが待っている。それは、Wreden氏によってゲームを紹介されたことが一因として、Coda氏は開発をしなくなってしまうのである。それをWreden氏が知り、自分自身を責め、そして最終的に今作を紹介することになった、というあたりである。
いろんな部分が考察できるが、他サイト様にも多くあるため、肝心な部分についてのみ考察する。「Wreden氏の考えとCoda氏の考えの違い」について。
まず、Wreden氏の考えについて。氏は、Coda氏のゲームには、何かしら思想等が入っているものと考えた。実際、普通の人はあまり作らないようなゲーム性だし、それを公開していないというのも珍しい。そこから氏は惹かれていった。しかし、Coda氏がスランプに陥っていると思った氏は、Coda氏のゲームをもっと多数の人に知ってもらい、実際に批評等を聞くことで、Coda氏を元気づけようと思った。しかしそれは全くの裏目だった、といったあたりである。
それではCoda氏の考えはどうか。Coda氏については直接の言及がないが、思うにただ自分の納得するものを自分なりに作って満足していただけで、他人の批評等は求めていないといったあたりであろう。スランプとかそういうのではなく、ただゲームを作りたくなかっただけであったりして、むしろWreden氏の介入は余計だと考えたことだろう。
この二人の考え方の違いが、袂を分かつこととなったのだろう。Wreden氏は、批評をもらえれば元気づけられると思い、Coda氏は、批評なんかはいらず自分だけが納得するような形で作れればそれで幸せと思ったところだろう。こういう、自分が求めるものと他人が求めるものは違うということは、なかなか気づくまで時間がかかる。
少し長いたとえになるが、仮にA氏が素晴らしい絵を描いたとしよう。それを、友人のB氏に紹介したところ絶賛し、その絵についてC氏に紹介して、そのC氏が破格の金額で買い取ると言ってきた。こうした場合、B氏やC氏にとっては間違いなく満足な結果となっただろう。しかしA氏にとってはどうであろうか。もちろん、本人が売りたいと思っているのなら問題はない。でも、A氏はただ自分の好きなように絵を描きたかっただけで、B氏に紹介したのも、友人だからという理由だけで、別に他人の評価や売るかどうかなどは考えていないし、描き終わった後に捨てようと思っていたかもしれない。こうした齟齬が生まれてしまうと、A氏はB氏に対して怒るだろうし、B氏にとっては自分が良いと思ってやったことが結果悪くなってしまったし、C氏にとっては気まずい感覚となる。まさにこうした出来事が、Wreden氏とCoda氏の間で起きたのだろう。
このゲームの展開は素晴らしい。特にWreden氏の解説により、自然とプレイヤーは、Wreden氏の考えに同調していくことになるだろう。しかし、最後のどんでん返しによって、プレイヤーは上記のことについて気づかされるのである。その時、プレイヤーは上記の例で挙げたC氏の感覚に陥るだろう。この叙述トリック的な手法は一杯食わされたという思いになった。
総じて、ゲームとして見ず、物語としてみれば本当に素晴らしいものである。若干値段は強気であるが、このゲーム性は唯一無二の物であろう。